仏教法話

現代の不安と霊魂観念の構造

…霊魂観、業・因果観念の問題と仏教…

京都市龍宝寺住職 中野東禅

不安の時代に付け込む霊障・たたりの氾濫

 現代生活の中で、さまざまな形の不安が増大するにつれて、霊障、たたり霊、霊感商法、占い、霊能、開運印鑑…、霊にかかわることばや事件が氾濫しています。
 新聞の折り込み広告に載っていた宣伝に、次のような文章がありました。
●人間はどんな因縁をもっているか……水子の因縁・家運衰退の因縁・中途挫折の因縁・運気浮沈の因縁・我が子の運気尅する因縁・夫婦縁障害の因縁・夫婦縁破れる因縁・肉体障害の因縁・横変死の因縁・脳障害の因縁・癌の因縁・循環期系統障害の因縁・色情の因縁・財運衰の因縁・頭領運の因縁・子縁うすい因縁・産厄の因縁・偏業の因縁
●因縁の現れる病気……ノイローゼ(精神病)・リュウマチ・乳癌・子宮筋腫…
 これを見ていると、すべての人は、〝霊=悪い因縁〟に支配されていることになります。
一九七五年以降に急に盛んになった宗教を「新々宗教」といいますが、こうした新しい宗教や生き神さま、占いの先生たちの一部に共通しているのが、中心に〝霊〟をすえているのです。なぜなら、明治期の新興宗教は国家と生活苦が精神的な欲求でしたから「生活がよくなる」が答えで、しかも、維新の風の中にありましたから神道系が中心でした。
戦後の新宗教は、天皇制・国家・神道への反発から仏教系で、家から開放された個人の救い、生活がよくなるでした。
それに対して、一九七五年は、ベトナム戦争でアメリカが負け、石油ショックで経済は発展すると信じていた合理性の挫折でした。合理性の反対は非合理であり、それが霊魂に象徴されます。それで、この時代の宗教は日本人の内奥に潜んでいた、非合理の霊魂観が表に出てきたわけです。その論理の特徴は、不幸の原因を霊のせいとして「霊の供養によって、あなたの運が開ける」といいます。
「私とはなにか」「私はなぜ死ぬのか」という時、本質的な問いかけのないまま、病気や不幸という恐怖や不安の説明に霊を利用するのです。それを説明原理といいます。こうした、人々の不安につけこんだ代表的なものが、霊感商法といわれるものです。
 人は人生の不安や、運命の不可解さの前に立たされたとたん、責任ある生き方よりも、大きな神秘的な力の支配を〝あてにする〟生き方に魅力を感じるようになるのです。
 しかも困ったことには、霊といい業といい、因果、輪廻など、霊感商法で使われるほとんどの言葉は、仏教用語をそのまま使って、もっともらしく語られるために〝霊の恐怖〟によってゆがんで解釈されたこれらの言葉が、あたかも伝統的な仏教の本義であるかのごとくに受け止められてしまうのです。
 たしかに仏教でも、お盆やお彼岸などの「先祖まつり」を行いますから、こうした霊感商法でいう霊と、仏教でいう霊は同じだと思ってしまう人が多いのです。 

「おびえ罪悪感」がひきおこした「命日反応」

 五十歳代の、外に仕事をもっていたA夫人です。その人の義母は心筋梗塞で亡くなりました。ところが、その四十九日法要の日に、夫人は軽い発作を起こしました。幸いにたいしたこともなくすみましたが、二年後の三回忌の法要の間際になって、今度はかなり強い発作が起こったのです。
 親戚の者が誰いうとなく、亡くなったおばあちゃんがうかばれていないからにちがいない、たたりにちがいないから、霊をしずめるお祓いをしてもらうようにと言ってきます。
 しかし、病状はかなり重篤でしたから、お祓いどころではなく、病院で精密検査をしてもらいました。医師は、この夫人の心臓には特に異常がないことから、心因性の発作の可能性があると判断して、心療内科の先生に診てもらうことにしたのです。その結果、この夫人と義母との人間関係がもとになった「おびえ罪悪感」から起こる、「命日反応」だということがわかったのです。
 この夫人は、外で働き、家事や育児を義母に任せていた事に対する義母の非難と、それへの反発やら、仕事へのプライドがあり、それが内心で義母への罪悪感となって混沌とよどんでいたのです。その口うるさい義母が〝早くいなくなればいいのに〟という思いが心の底にあり、そんな折に、義母はなくなったのです。心筋梗塞で苦痛にゆがんだ義母の死に顔を思い出すのです。一方、息子の嫁に対する潜在的不満が蓄積されていました。自分が義母の立場になって、おばあちゃんにああしてあげればよかったという思いが、気持ちを錯綜させていました。それで命日が近づいて「心因性の発作」となって現れたことがわかったのです。
 霊の恐怖は愛があったら起こらないのですが、このような葛藤が、たたり観念を引き起こします。それを効果的に解消するのが「感謝による供養」なのです。

日本人の霊魂観念の構造

 そこでまず日本人の霊魂観念を整理してみましょう。
(1)亡くなったばかりの死者や、異常な死に方の死者、トラブルのあった死者は、落ち着かなくて、怖い霊魂で「荒(あら)魂(みたま)」といいます。
(2)そのような霊魂は、時間を掛けて浄めて行く必要がある。それは「霊の浄化」であるといいます。
(3)時間を掛けて浄化された霊魂は、めでたい霊魂で、「和(にぎ)魂(みたま)」(先祖)だといいます。
 そして、(1)の「荒(あら)魂(みたま)」は、人間の悪の心に共鳴して「祟り」を及ぼすと考えるわけです。それは霊界が人間界を「支配①」しているのでという論理構造です。
 それに対して(2)の人間による「霊界の浄化」は、人間が「霊界を操作」しているのだと考えられます。
 そして(3)の「和(にぎ)魂(みたま)」は人間界に病気治しや、恩恵を与えるという形で、人間界を「支配②」しているという論理構造になっているということが分かってきたのです。
 要するに、「荒(あら)魂(みたま)」は人間側の恐怖心の鏡であり、「和(にぎ)魂(みたま)」は人間の感謝の鏡なのです。そして「霊界の浄化」は、死者への人間の負い目の代償行為だということが分かります。
 これらはどうも縄文時代からある日本人の深い霊魂観念だというわけです。

「先尼外道の見」批判にみる民俗と仏教の戦い

 そうした日本人の「霊界観念」を、仏教の「仏の力」のように言い換えたのは、平安時代の下層の僧侶たちで、その説を「天台本覚法門の霊魂論」というようです。
 そうした論理は、各祖師にも道元禅師にもありません。『正法眼蔵』では「先尼(セーニカ)外道」の見として繰り返し批判しています。比叡山における道元禅師の師だった宝智房証真(~一二一四)さんの論文と道元禅師の先尼外道の見批判は全く同じであり、当時比叡山では、こうした霊界論と正統仏教との論争が行われていたということが分かるのです。因みに宝智房証真さんが亡くなったので一二一四年に道元禅師は三井寺公胤さんのところへ質問に行くのです。
 仏教では男と女、健康人と病人、背の高い人と低い人などの命の違いを、「しゃべつ」といいます。しかし社会的に抑圧する場合は「べつ」といいます。
「先尼外道の見」とは、現実には、支配者と被支配者、搾取する立場と収奪される立場などの区別があるが、それは大きな海の表面の波であって、死んだら皆平等な大海(霊界・性海ともいう)に帰るのだから、現実の差別で悩む必要は無い、という説明原理です。
 これが仏陀時代のセーニカ外道の説であり、平安末期の「天台本覚法門の霊魂論」といわれる論理なのです。それによって、現実の不条理を肯定しつつ死後は霊界で平等というのです。そうした民俗仏教批判が『正法眼蔵』の「先尼外道見」批判だったのです。

知性と感謝で恐怖霊を智慧に昇華する

 人間は十歳までは親が絶対で自己存在に疑問は持たないといいます。十歳すぎる頃から、自分の顔つきや、運命や、親などの不条理について疑問を持ち始めます。しかし、考える力がありませんから、神秘的な力の支配として説明しようとするので、小学校高学年から中学生くらいまでは「霊」が流行るのだそうです。
 ところが思春期後期になると、現実を受け入れる力がついてきて、男とか女とか、父親や母親の特徴欠点などを受容して自分の不条理は「現実」で「無条件」なこととして納得できる知性が成立してくるのだといいます。そして、先祖祭りは(2)の知性的人生観とダブって感謝型になって行くのだそうです。
 ところが、この時に正しい人生観・知性的態度が成立していないと、「霊・まじない」的論理になるというのです。ここで、「霊・まじない」的論理が知性的精神の反対にある事がよく分かるわけです。

過去のしがらみを背負って現在を生きる

 日本人は「業が深い」などと使いますが、仏教本来の意味は、心と行為の総合性のことです。因果は、「縁起」という言葉を時間的に見たものです。
 さて、このような「業・因果」を簡単に整理してみましょう。
①依報 ( えほう ) (存在のよりどころとなる環境)
①-2 正 ( しょう ) 報 ( ほう ) …(個体。環境によって支えられて生命活動をする個体)
②旧 ( く ) 業 ( ごう ) (行為の基本となる命。男とか虚弱とか、ホルモンの影響などの身体状況)
③宿 ( しゅく ) 業 ( ごう ) (生命や心に染み付いた習慣や、コンプレックス、潜在意識)
④共 ( ぐう ) 業 ( ごう ) (個人の責任ではなく社会や環境の影響による行為の責任…戦争や感染症)
④-2不 ( ふ ) 共 ( ぐう ) 業 ( ごう ) (個人の責任による行為。自業自得な行為の責任)
⑤異熟業 ( いじゅくごう ) (原因から結果に至る間に心を通すために、因と果の間に変化する性質)
⑥三 ( さん ) 時 ( じ ) 業 ( ごう )
 (a今の行為の影響が今結果となる)
 (b今の行為の影響がしばらく後に現れる)
 (c今の行為の影響がずっと後に現れる)
⑦新 ( しん ) 業 ( ごう ) (①~⑥までを背負って時々刻々新しい行為をする)
⑦-1迷いと苦しみの輪廻(愚かさを繰り返してしまう心と行為のこと…引業)
⑦-2別 ( べつ ) 解 ( げ ) 脱 ( だつ ) (ハラダマイモクシャという。気付きによって愚かさを繰り返さない事…善き行為の選択で過去の善を熟成させるから「満業」ともいう)
 ここで分かる事は、仏教の教えは、人間の現実は様々なご縁の集合体であって、そのおかげで私という〝事実〟があるのだから、そこから逃げないで、そこを責任主体として丁寧に生きるのが〝私〟そのものだという事です。つまり「過去のしがらみを背負って現在を丁寧に生きる」のが仏教の業・因果論だという事が分かるのです。
 それを百丈懐海は「これを車となして因果を運載す」(『正法眼蔵・仏性』)といいます。

逃げず、ごまかさず責任を持って生きる

 お釈迦様は、「あるものが花であり、あるものが牛であり、あるものが人間であるというちがいは生まれつきであるが、人間という同じものが、あるものは牛飼いであったり農夫であったり、宗教者であったり、悪人であったりするのは生まれつきではない。それはその人がそのようにあることでちがっているのだ」(『スッタ・ニパータ』六0)と言っています。命の違いは本人の選択や責任ではないが、職業や、善悪などは人間の自主的な意志によって人のあり方がきまるのだというのです。
 ところが、私たちが行った善や悪の行為とその結果やしがらみや心の染まったものはのがれようがないから、ごまかすことはできないともいっています。(『法句経』一二一)このような自己の行った業に支配され、その愚かさをまた繰り返して、愚かな業の再生産・上塗りをすることを「輪廻」といいます。それに対して、その責任を背負ってゆこうという決意をし、二度とこんなおろかなことはくり返すまいと発願することをすすめるのです。その発願を「自 ( じ ) 浄 ( じょう ) 其意 ( ごい )」(自らその意を浄める)というのです。(『法句経』)そのとき、おろかさや悪は二度と行われず、おろかな心や行為は「よりよき業」によっておおわれていると思います。(『テーラー・ガーター 長老偈経』八七一)
 そういう行為は「別解脱」といわれます。別とは一つ一つ解放されることです。このように、釈尊の業論は、受け身の業論ではなく、現在の私がなにを発願し、どちらの方向にゆこうとしているのか、という自由意志のあり方をすすめる業なのです。こうした立場から「我は業論者なり、我は精進論者なり」といっています。このように、自己の運命としての業から逃げ出さず、ごまかさず、責任をもって生きてゆこうとする態度を「深 ( じん ) 信 ( しん ) 因 ( いん ) 果 ( が ) 」といいます。あるいは「不昧 ( ふまい ) 因 ( いん ) 果 ( が ) 」といいます。因果の真理に昧 ( くら ) からず、ごまかさず、ということです。

さとりを念じ、仏を念じ安らぎを祈る

 お釈迦様は『長老偈経』八七一偈に次のようにいいます。
「さきにおのれのおかせる悪業をいまや善業をもっておおう者はあたかも雲間を出でし月のごとくこの世間を照らすであろう」
 人間は過ちを犯します。しかし、それに気が付いて反省し、次に善い事を行い、発願すれば、それが世間を照らす、というのです。
 負い目や霊や、悪因縁に支配されていると思いこんで、その支配力を当てにして、運命を自分のご都合に変えようとするかぎり、真に善を祈る勇気は出て来ません。
 仏教は、病気や老化や死という存在の事実を自分の都合のよいように変えることを願うのはまちがいだとみます。それは自分が人間であったり髪が黒かったりすることを変えようとする事と同じで、問題の解決にはならないのです。発願や念ずる事が大切なのです。お釈迦様は次のようにいわれます。
「多くの聖なる河で、愚かなる人々はつねに浴すれどもその悪業は浄めらるることなし。内に悪しき思いをいだける者、また罪あやまちをおかせし者の悪業の深きを、河は浄めじ。心きよき者には常に春祭(心に喜び)あり。思いきよき者にはつねに布薩(懺悔さんげ)あり。心きよく、行いきよき者にこそ加行(修行)おのずから成就するなり。(『水浄梵志経』)
 こころに浄らかさへのあこがれがなければ、どんなに聖なる河で沐浴しても悪業は浄まらないのです。逆に人のこころは縁が熟せば、必ず浄らかさに共鳴するのです。
 だから「懺悔」すれば悪の余力は消えて、重大な悪の習慣や罪が軽いものに変わりうるというのです。私はおろかさに気づかされるのです。気づかせてくださるのは仏のいのちからの呼びかけであり、自己のいのちの本源からの呼びかけです。その共鳴を「感応道交かんのうどうこう」といいます。それが霊の恐怖をこえ、転化してゆくのです。現代のまちがった霊魂観念に対して正しい知識と感謝の功徳を敷衍してた、人々に安心を伝えていって頂きたいものです。

「及ばずながら」(前篇)

東方研究会常務理事 駒澤大学名誉教授 奈良康明
◇本稿は平成 19 年11月17日及び20年2月9日に行われた宗侶研修会における講義をふまえて、新たに書き下ろしたものである。このときにテーマは「仏教の知恵と慈悲の形」ということであったが、その実践に関わる姿勢として、私は「及ばずながら」をキーワードとして語った。本稿は与えられた紙数の関係もあり、この及ばずながらという言葉を中心テーマとして、筆者なりの仏典の読み方、受けとめ方、そして私たちの生き方を述べてみたい。

1.仏祖の原点にかえる、ということ
 仏祖の原点に返れ、とはよく言われる言葉です。
 仏祖の教えは私たちが今日においても仰ぎ見、範として従いゆくべき信仰の基本です。
 ですから、時代がかわり、社会状況が変化することに応じて、常にこの原点に立ち返り、信仰を新鮮なものにしてゆくのは当然のことでしょう。
 特に現代は仏祖の時代と大きく変わっています。釈尊の時代には出家とは文字通り「家を出た」修行者でした。つまりホームレスの生活をするのが沙門で、徹底した無所得の生活の中に自我欲望を抑制した生活でした。中国、日本でも僧侶は社会を出た存在として理解されてきましたが、しかし、屋根のあるところに住みましたから、それだけでも古代インドの沙門生活とは大きくかわっています。
 そうした生活条件の変化にかかわらず、正法は伝持されてきました。正法は時代・社会の変化に応じつつ、しかし、着実に伝持されるべきものです。
 嘗ての出家、沙門とは異なり、現代の私たちは完全な社会内存在です。現実の生活も完全に世俗の生活ですし、客観的にも社会の一員とみられています。それだけに仏教者、僧侶としての社会的責任が問われるのは当然です。
 世俗の生活にありながら、出家者としての意味をどう主張するのか。ここに現代の出家者の「出家性」が問われなければなりません。釈尊の時代の出家の生活に戻れ、という主張は現実離れしていて、現代の教団を否定し、同時に法の伝承を無にする意見です。外部からの無責任な発言ならいざ知らず、教団を護持し正法を伝持していく義務を負う私たちにはうべなえません。教団のかかえている種々の矛盾を乗り越えながら、現代の出家性を主張する必要があるのですが、そのために「悟りの生活の実践」が要請されています。

2.悟りとは何か、という疑問
 そう言うと、悟りなどとはとても遠いもので、その実践など出来ない。それこそ非現実的だと言われるかも知れません。たしかに悟りとは仏祖の説く理想の境涯ですし、そう簡単に実現出来るものではありません。
 しかし、考えてください。釈尊はたしかに悟りを開かれました。そして、悟りとはなにか、悟りの生活とはどういうものか、を説きました。中国の禅僧の事蹟を見ても、すぐれた禅僧の悟りの境涯は多くの語録に残されています。悟りは仏道修行の究極の理想ですし、悟りのない仏教はありません。
しかし、釈尊の時代から今日に至るすべての出家、修行者が悟りを開いたわけではありません。釈尊の弟子たちの中で悟りを開いたのはごく少数です。禅の伝承においても、きびしい修行を経ながら悟りを開かなかった、ないし開けなかった修行者が多くいたことは知られています。
 それでは仏道修行は悟りが開けなかったら意味がないのでしょうか。悟れなかった修行者の修行は無意味だったのでしょうか。そんなことはないので、一つには、トップクラスの修行者を支える無数の修行者が、あえて言えば境涯の進展に応じて、三角形型をなして下から禅の修行体系を支えていたことは疑いありません。つまり「教団」ですが、教団という基盤があるからこそ、悟りの伝承は受け継がれ、正法は伝持されてきました。
 こういうと、いかにも悟りを開かなかった修行者たちは悟りを開いた一握りのエリートの予備軍で、そのための下積みだった、などという考えに陥りがちです。しかし、第二に、悟りを開かなかった修行者の修行も他に代え難い実存的意味をもっています。これは悟りという言葉をどのように理解するかということにかかわってきます。私は「悟り」を、「開いた」 、「開かなかった」、と二者択一的に捉えるのは正しくないと考えています。
 たしかに菩提樹下での釈尊の悟りは釈尊の体験です。自我を超えたところで行われた真実、正法への目覚めです。中国以降の禅僧の悟りにも激烈な内心の転機が語られています。「見性」体験という言葉もありますし、そうした宗教現象があることは無論私は否定しません。しかし、同時に,特に僧院に於いて、これぞ仏の生き方(行履)であるという行為を学び(真似び),坐禅という無我の世界に身を置く行を実践していくうちに、ふと気がつくともう後戻りできない世界が開かれて、うなずかれてくることはしばしばあります。
 そして深まってきます。酒井得元先生はこれを「醇熟」という言葉で教えて下さいました。
 見性も悟りと呼んで差し支えないでしょう。しかし重要なのは真実への目覚めだけではなく、それに導かれた「仏道を生きる」行為そのものなのです。私の誤解でなければ、臨済系の修行では見性体験の後に「悟後の修行」があって見性体験を生活化します。曹洞系では先ず仏の生活、つまり悟りの生活を身体で実践させ,次第に醇熟をまつ、という修行方法をとります。そうした生活自体に意味があるものでしょう。

 悟りを一瞬の目覚め体験と見るか,それとも仏道を歩み続けるプロセスとみるのか。
 私は後者の方が仏道の実践という面からみると、本筋のようにうけとめています。

3.仏祖の教えは理想目標
 釈尊の教えを一例として出します。私には子供がいる、財産がある、と(誇らしげに)思いつつ、人は(それが失われないようにと)悩む。しかし、すでに自分が自分ではない。
 どうして子供や財産が自分のものであろうか。(『ウダーナ・ヴァルガ』1.20)
 財産や子供は普通には人生に張り合いをもたらすものだが、しかし、一度それが失われると苦悩が生じる。それは執着しているからである。そもそも自分さえ自分でどうしようもない存在ではないか。ましてや子供や財産は他者にすぎないのだから、執着して苦しむのはよせ、ということですし、この詩はさらに、だから財産や子供は持つな、というアドヴァイスを含意しています。つまり、世俗の生活を捨てよ、と言っているので、つまりこの詩は出家生活を念頭に置いた教えです。
 この教えを私たちは字義どおりには受けとれません。何故なら私たちは社会生活をして いるのですし、古代の沙門とは生活様式が違います。大切なのは、釈尊がここで何を言いたいのか、という真意をこそ受けとめ、それを現代社会に生活する私たちに応用問題として受けとめ,努力していく、それこそが「釈尊に戻る」生き方でしょう。
 すなわち、ここでは真実を受けとめ、極力それに随順して生きていくところに、仏教者としての心の安らぎを得つつ生きていく生き方が可能になってきます。それこそが仏道を生きる方法であり、釈尊はそれを四諦八正道としてまとめて説いています。「人生は苦なり」、「苦の原因は欲望なり」、だから「欲望を抑制すれば苦もまた超えることが出来る」。そのための「実践が八正道」ということで、どなたもご存じの仏教の基本であり、悟りに導く道だと教えられています。同時に、これはしばしば軽視されるのですが、八正道は悟っても同じ道を歩き続けるのであって、八正道とは悟りへの道であると同時に悟りそのものを歩く道なのです。

4.悟りとは仏道を歩くプロセス
 道元禅師も同じことを「彼岸到」というすばらしい教えで説きます。
 波羅蜜といふは、彼岸到なり。・・・到は現成するなり、到は公案なり。修行の彼岸へいたるべしともおもふことなかれ。これ彼岸に修行あるゆえに、修行すれば彼岸なり。この修行、かならず偏界現成の力量を具足するがゆえに。(『正法眼蔵』仏教)
 波羅蜜(多)は通常「到彼岸」、つまり「彼岸に到る」と訳されています。禅師はそれを敢えて、「彼岸到」すなわち「彼岸は到れり」と理解します。彼岸とは無論、仏道修行の目的であり、修行の完成のことです。しかし、彼岸をどこか彼方の目標におくと、そこに到るまでの道程は無意味なものにならないでしょうか。そしてどこまで行ったら完成するのか、という疑問も出てきます。禅師は仏道を「道を歩く」ものと理解されます。これは釈尊が悟りを(四諦)八正道を歩くこととするのと全く同じ姿勢です。そして、道を歩きだした最初期にはよろけたり、気力を失ったり、戻りたくなったり、しっかりと道を歩くことは難しい。しかし、次第に足腰がしっかりと歩けるようになり、道を歩くことが万事に「熟して」きます。自信も出てくるし、それに応じて知的に理解していた教えの意味も深くうなずく。それがまた実践をより確実なものとしてくる(「行持道環」)。
 禅師は最初期の歩き方と、しっかりと歩けるようになったときとの違いを「劫火」(宇宙を焼き尽くす火)と「蛍火」に喩えているのですが、それにも関わらず、仏道を歩いていることには変わりありません。そして道を歩くことは死ぬまでつづきます。だからこそ、何時、どこに着くのかと問うことはありません。どこまで行っても歩くという修行はあるものだからこそ、禅師は道を歩くことが修行であり、道を歩くことが全世界の真実をあらわす悟りであり、だからこそ「彼岸は既にここに到っている」と言うのです。
 信仰を起こす、ということは具体的には菩提心を発すということでしょう。仏道を信じ、実践し、出来るだけ人々のために役立つ存在になろうと決心する。しかし、最初から100点満点の歩き方などとてもできません。自らの力のなさを自覚し、反省しながら、しかし、「及ばずながら」も最大の努力をしていく。この際に大切なのはあくまでも仏教者としての自覚なのであって、「法に誠実に」、そして「信仰者としての自己に誠実に」生きていくことです。どこまで出来るかではありません。誠実に歩くことです。

 仏道を歩くことは誰にでも開かれています。しかし誠実さがなければすべてが崩れます。
 悟りとは無縁の似非仏教者になってしまいます。

「及ばずながら」(後篇)

東方研究会常務理事 駒澤大学名誉教授 奈良康明
1. 前編に「及ばずながら」と受けとめるより他に生きようがない、などと書いたら、もう少し詳しく書け、とリクエストされました。有り難いと思うと同時に、面はゆい気がしないでもありません。自分の未熟な過去の体験を~今でも未熟なことは変わっていないのですが~さらけ出すことに連なるからです。
 私は不器用で、愚直な人間です。それだけに、釈尊や祖師方の書かれたものをそっくり信じ受けがいたいと思っています。また、仏祖の教えですからそのまま信受するのは当然のことではありましょう。そう思っているのですが、それにしてもその教えにしたがって生きることはまことに難しいことです。
釈尊が「奮起せよ、坐して瞑想せよ、眠っていて何の役に立つのか。矢に射られて苦しんでいるものが、どうして眠ってなどいられるのか(『スッタニパータ』三三一)」というのは、当時の沙門と現代の私たちとの社会における在りようの違いを踏まえた上であっても、それなりに受けとめたいし、同じことを道元禅師も「無常迅速なり、生死事大なり。しばらく存命の間・・・ただ仏道を行じ、仏法を学すべきなり」(『正法眼蔵随聞記』二・八)と言われています。信仰生活の究極をいう教えです。一般論としてはその通りだろうと思います。私もそう受けとめています。しかし主語を一人称に変えて、この「私」がどこまで出来るかと言ったら絶望的です。
 しかし、仏典祖録の文言はそれをやれ、といっています。「示して曰く。仏々祖々、皆な本は凡夫なり。凡夫の時は必ず悪業もあり、悪心もあり、鈍もあり、痴もあり。しかれども皆改めて知識に従い教行に依りしかば、皆仏祖となりしなり。今の人も然あるべし。我が身おろかなれば、鈍なればと卑下する事なかれ。今生に発心せずば何の時をか待つべき。好むには必ず得べきなり。(『正法眼蔵随聞記』一・一三)。現実にも先輩の学者や師家、指導者の方々はそれが修行だ、悟りだ、そこまで行かなくて駄目だ、と叱咤激励してくれます。〈そんなこと出来るものか〉と私は索漠として、「一抜けた!」とボヤいていました。
 理屈としてはこれも仕方がないことだとは判っています。原始仏典でも祖録でも、信仰の在り方や悟りの境涯などがズバリと示されています。理想的な在り方をこそ示しているわけですし、それを自分のこととしてどう生かしていくかは私たちの問題です。だからこそ、釈尊は「仏は説くのみ・・実践するのはお前たちだ・・」とはっきり言っています。それは判っているんです。しかし、現実には、あるべき理想があまりにも大きく重く前方に立ちはだかっている。どうしたらいいのか、と愚直な私は迷ってしまいます。

2. 私は故酒井得元先生に大変お世話になった人間です。昭和二十六年五月から先生が亡くなられた平成八年十一月まで、毎月一回、自坊で提唱と坐禅を指導していただきました。私が駒大の教員になった以降はより頻繁にお会いして、いろいろと教えられました。その頃は随分失礼な質問をして先生を困らせた記憶があります。例えば、道元禅師は「一生参学の大事ここに畢れり」と言い切り、「眼横鼻直なることを知って空手還郷」と言われています。単なる理論ではない、身体に染みわたっている確信があるからこそ、こう言えるものでしょう。当然どこかで禅師が回心した体験、そうか!と深く肯いた体験、がなければなりません。
 今までは、それが如浄禅師の下で修行していた時の有名なは「身心脱落、脱落身心」のエピソードである、それが曹洞宗の起源だ、などとまでいう議論もありました。しかし最近ではこのエピソードは史実ではない、という研究が出ています。学問研究がそう言うなら、私はそれを受けがいます。私には大したことではありません。しかし、それならばそれで、禅師の如浄下における修行の何時かの時点で、何らかの形で、法、真実に肯いた体験があったに違いありません。それが文献に出てこなければそれはそれでよろしい。ただ、その悟り体験があったことだけは禅師の発言と生き方から間違いないことでしょう。
 そんなことを考えていたものですから、私は酒井先生に「先生が、只管打坐とは人間が坐るのではない、仏として坐るのだ」とか、「判った、と言ったら、もう真実ではない」などと確信出来たのは何時ごろ、どのようにですか、などと聞いて怒られたりしていました。先生も答えに窮したと思います。
しかし、後になって、「宗門には醇熟という言葉がある」と教えていただきました。これは私にとっては大きな救いでした。これなら判るし、僅かながらも、自分で体験しているからです。つまり、禅信仰の在りようを教えられた通りに、知識として受けがっているものの、身体で肯いていない。しかし、それを抱え込んで生きているうちに、ある時ふと、「そうか、お師匠さんの言っていたのはこういうことだったんだな」という深い思いが出てくる。身体に肯づかれてくる。確信になってくる。こうした小さな体験がつみかさなって、禅の信仰に生きることの意味が少しづつ実感されてくる。こういう体験は多くの方が持っておられることと思います。ふと振り返るともう後戻りできない。
知識とそれに応じた生活体験が少しづつ「熟し」てくるんです。
 少しづつ熟してくる、ということは今は未だ熟していないことが沢山あることですし、そこで気がついたんです。仏典祖録の教えがレヴェルが高すぎる、受け入れがたい、というのは、そこまで行くプロセスを抜いて考えているからなんです。いわば「向上門」的な立場で説かれてない。脚下照顧、足下を見よ、などとは言いながらタテマエ論が強すぎるのです。禅の伝承はこの点では不親切だと思いました。一人で苦労させ、黙ってついてこさせるという教育があることは知っています。むしろ僧院での修行はこうした突き放した指導が伝統的です。それはそれで判るけれども、迷いながら、あがいている際に、理想どおりには行かないのは当然、しかし理想に向かって「及ばずながら」も誠実に歩いていけばいいのだ、未熟なことを反省し、懺悔しつつ行くより仕方がないではないか、という激励の仕方はあってもいい。それは迷いながら歩いているプロセスそのものをとにかく意味づけてくれる。こうした「老婆親切」的な教えがない。「及ばずながら」というのはそういう生き方だと考えています。(前号に紹介した道元禅師が仏道の歩き方に関し、「到彼岸」(彼岸に至る)から「彼岸到」(彼岸は至れり)と転換した例をご参照下さい。)

3. 悟りの生活などという大事おおごとではなく、より日常的な慈悲の実践については、よけい「及ばずながら」という受けとめ方、歩き方をせざるを得ないと、考えています。慈悲はどのようにどこまで及ぼせばいいのか。仏典は例に依って「(独り子を命をかけて護る母親のように、)生きとし生けるものすべてに無量の慈悲を及ぼせ」(『スッタニパータ』一四九)などと壮大なことを言います。これは不殺生、不傷害、そして社会的行動としては戦争反対にまで発展し、適応し得る教えです。
慈悲の及ぼし方には、現実には、いろいろな広がりがあるんです。
 まず、仏教、禅信仰の究極は自己に向かい合うことでしょう。仏法という「無我」の世界~人間の意志、意欲とはかかわりない世界~に向き合って自己を確かめていく、その端的な行為が坐禅です。僧院生活の目指すところも同じです。仏道を(及ばずながらも、誠実に)歩いていくことが悟りの実践でしょう。これは、宗教的には、自己の救済であり、個人的救済です。仏教は老病死という自我の問題に悩んだ釈尊以来、「個」を救済することを最重要なテーマとしてきました。だからこそ、自らも坐ると同時に、他者をも坐らせることが利他行だとされてきました。社会的事象には大した関心を払ってきませんでした。
 これは間違ってはいません。正解なんです。仏教は基本的には個人的救済を主眼とする宗教で、社会的救済は在俗信者の仕事とされてきました。正解ではあるが、しかし、今日では「それだけでいいのか」と問われる社会になっています。今までの「僧侶」は「出家」であり、とにかく社会を出た人と理解されてきました。だからこそ、僧侶が個人的救済に専念する(~教団の現実はそう綺麗ごとですんではいませんが~)ことも、好意的に見れば、許されてきました。今日では私たち僧侶は完全に社会内存在です。宗教者としての社会的責任が問われています。個人的にも教団としても、社会的事象に少なくとも関心を持たざるを得ない時代になっています。「社会参加型仏教」(エンゲージド・ブディズム)という「方向」は正しいのです。
 では内なる自己に向き合う局面と、外の社会に働きかける局面とはどうかかわるのでしょうか。私は個人的救済か社会的救済か、と二者択一に考えることは間違っていると思います。結論を端的に言うなら、私はこう考えています。
「自未得度先度他」という言葉があります(『正法眼蔵』「発菩提心」)。自らが悟る悟らないにかかわらず他を救う。利他行の極致です。そのためには菩提心を発します。発菩提心とは慈悲の心を起こすことですが、その慈悲心を端的に社会救済運動に直結する受けとめ方がしばしばあります。そうではないので、道元禅師はこの言葉について「世間の欲楽を与うるにあらず」と示されています。発菩提心とは、他者の苦しみに自らの心もいたみ、何とか救いたいという利他の心を起こすことです。その心で仏道を(及ばずながらも)歩くことなんです。
 だからこそ利他の具体的行為としては、自我に悩まされ、自分を見失っている人の(個人的)救済にはげむ信仰者がいます。同時に矛盾に満ちた世界、社会的脈絡の中で人びとを救う(社会的)救済に力を尽くす宗教者もいます。どちらでなければならない、という二者択一の問題ではないんです。悩み苦しむ人びとに出来る限り同調し、自らの心をいため、何とかしたいと誠実に考えるからこそ、信仰者それぞれの性格や考え方、立場に応じていろいろな形で働き出すものでしょう。社会的に何もしないから仏教者として認められない、と言うのは行き過ぎです。自ら坐禅し、他を坐らせ、一個半個の救済をすることが禅者のつとめだ、社会的に何かをすることなど余計なことだ、というのは言い過ぎです。それぞれの慈悲心のおよぶところ、自分なりに何をするのかは自ら誠実に考え、受けとめ、選んで行くことだと私は思います。
 しかし、それではオレはこうすると自分で勝手に決めればいいんだ、何でもいいんだ、と安易に考えられると、仏教信仰の意味を失います。宗教信仰はルールではなく、私たちの自覚と意欲、つまり利他の心と真摯に向かい合うことでしょう。「法に誠実に、信仰者としての自己に誠実に」という姿勢があってこそ、宗教者の多彩な活動が期待されます。
 仏教者として自分は何をどのように受けとめ、どう生きたらいいのか。この問題はやはり「及ばずながら」と誠実に、そして懺悔を繰り返しながら、生きていくより他に道はないものと私は受けとめています。